読書のものさし

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【名著】神の存在意義を問う衝撃作!遠藤周作『沈黙』のレビュー

夕日

 

今回読んだ本は、遠藤周作『沈黙』。

 文庫本にして300ページ近くにのぼる歴史小説です。

 

禁教令を布く江戸時代の日本で、ポルトガルから来航した神父が、

棄教か殉教かの二者択一を迫られる、その心理を描きます。

 

2017年には、マーティン・スコセッシ監督が

『沈黙 サイレンス』として映画化しています。

 

300ページの本とは思えない読後感が胸にのしかかります。

なお本書は舞台が長崎ということから、九州の本として扱います。

 

🔻遠藤周作のプロフィール

 

遠藤周作は、1923年東京で生まれた小説家です。幼少時は満州で過ごし、日本に戻った後、12歳でカトリックの洗礼を受けます。慶応義塾大学文学部仏文科卒業後、フランスに留学。しかし肺病に罹り、約2年半後に帰国します。帰国後、本格的に作家としての活動をはじめる。

 

1955年に発表した『白い人』で芥川賞受賞。57年『海と毒薬』で新潮社文学賞、毎日出版文化賞を受賞。95年文化勲章。代表作に『沈黙』『海と毒薬』のほか、『イエスの生涯』『深い河』など。日本とキリスト教との関係を生涯にわたり追及しました。そのほか、歴史小説やユーモア風の小説も残しました。

 

🔻『沈黙』の内容

 

ローマ教会にある報告がもたらされた。ポルトガルのイエズス会が日本に派遣したクリストヴァン・フェレイラ教父が、長崎で拷問を受け、棄教を誓ったというのである。その報せは、驚きをもって本国に伝えられた。

 

当時の日本は、異教徒に対して棄教や転宗を迫り、過酷な弾圧政策が布かれていた。フェレイラ神父は20年来、日本で布教活動を続けてきた、信仰心に篤く、人望を集めていた、熱心なキリスト教徒だった。 

長崎の地図

 

ローマ教会が対応に追われるなか、その報せを同じように受けとめる人々がいた。ポルトガル・リスボンの若い司祭、ガルペ、マルタ、ロドリゴの三人である。彼らは修道院時代に、フェレイラ神父のもとで教義を学んだ師の教え子たちだった。

 

その人となりを知る彼らは、フェレイラ神父が異教徒の前で棄教した事実を信じることはできなかった。三人は、棄教の真実とその消息を探るため、ゴア、マカオ経由で、日本への密航を企てる。

 

最後の寄港地、マカオにたどり着いたロドリゴらは、ヴァリニャーノ神父から、日本の信徒たちの現状を聞かされる。そこで新しく宗門奉行に任命された井上筑後守が、フェレイラ神父を訊問したことを知り、ついに日本への渡航を試みるのだが……

 

🔻『沈黙』の感想

 

禁教令が布かれた日本で、キリスト教徒たちは、時の権力者から、棄教や拷問をしいられ、過酷な弾圧を加えられています。信徒たちが迫害される状況を見るにつけ、ロドリゴには、ある疑念がもちあがります。

 

信徒たちがいくら神を奉じ、祈りを捧げようと、犠牲者はいっこうに減らず、神はいつも沈黙したままだからです。ロドリゴは、そんな神の姿勢に疑問を抱きます。多くの信徒たちが信仰を捨てず、無残に命を落としていくなかで、なぜ主は黙ったままのか、と。本書は、この「神の沈黙」をテーマにしています

 

渡航前、ロドリゴにとって、神は憧憬の対象にしかすぎませんでした。ところが、彼は日本における信徒たちの現状を認めるにつけ、その気持ちに変化が生じます。司祭としての信念や責務を離れ、一個人として神と向き合うことで、その存在がより内面に深く根差していくからです。

 

この小説は、終始、ドラスティックな緊張感にみたされています。同時に、迫害される信徒を前にして、司祭が酷な判断を迫られるところが、小説にドラマチック効果も生んでいます。300ページの小説とは思えない、大長編を読んだ後のような、ずっしりと重い読後感におそわれます。

 

🔽日本とキリスト教との関係について考えさせられる名著

 

大学時代、キリスト教の講義を担当した教授が、『沈黙』を勧めていたのを覚えています。以来、本書がずっと記憶の隅にひっかかっていました。十数年の時を隔て、ようやく手にとりましたが、そのことば通り、圧倒的な本でした。絶望の淵に立たされた司祭の心理が丁寧に描かれており、胸を深く抉られます。

 

本書では「神の沈黙」を、しばしば長崎の海に重ねて描きます。これまで何度も長崎で海を目にしてきましたが、本書を通すと、また違った風景として立ち上がってくるかのようです。胸をふさぐような重い内容ですが、日本とキリスト教との関係について考えさせられる、名著です。 

 

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