読書のものさし

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林芙美子という生活人 ~林芙美子『風琴と魚の町・清貧の書」の感想~ 

本


今回読んだ本は、林芙美子『風琴と魚の町・清貧の書』です。

本書には初期の作品群から9つの短編が収録されています。

 

その大半が作者の身辺に材をとった私小説で、

貧しい生い立ちや夫婦の関係が中心を占めています。

 

本書を読んで発見がありました。

 同じ経験をベースにした短篇小説でも、

語りの視点が異なれば、違った印象に感じられることに

大きな驚きをおぼえたのです。

 

 🔻 林芙美子のプロフィール

 

林芙美子は、福岡県門司区(諸説アリ)に生まれた、昭和初期から戦後まで活躍した小説家です。『放浪記』の一節、「私は宿命的に放浪者である」というフレーズが象徴するように、彼女は行商人の養父と母に育てられ、九州や中国地方を放浪する幼少時をおくりました。大正5年「風琴と魚の町」の舞台となった広島県尾道市にしばらく落ち着き、地元の高校を卒業後、遊学中の恋人を頼って上京(後に婚約を解消)。さまざまな職業を経験します。

 

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上京から4年後、画学生の手塚緑敏と婚約。上京時から、東京での生活をつづった日記をつけ始め、それが後に『放浪記』の原型となります。昭和5年『放浪記』がベストセラーとなり、後に映画化・舞台化もされました。また日中戦争時には、ペン部隊の一員として武漢作戦に従軍し、『戦線』『北岸部隊』を発表。初期作品の特徴は、自らの過去に取材した、自伝色の強い作風にあります。

 

🔻 『風琴と魚の町・清貧の書』の感想

 

本書には初期の短篇から9つの作品が収められています。表題作「風琴と魚の町」「清貧の書」をはじめ、自伝色の強い『耳輪のついた馬』、後期の作風につながる「牡蠣」といった作品群です。全体を見渡して気づくのは、「馬」「魚」「牡蠣」と、生き物の名が題名に多く入っていることです。とはいっても、小説の主人公が、馬や魚に設定されているわけではありません。

 

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あくまで作中では、夕餉や露店で口にする料理の一部として登場するのみです。では、なぜタイトルに盛り込んだのか、これが要領を得ないのです。たとえば、一見投げやりな「馬の文章」という短篇を読んでも、全体からは題名の意味が汲みとれません。「耳輪のついた馬」というタイトルから想定すると、芙美子は、自らの境遇や生活ぶりを、一段と低いものと見なし、自らを馬という動物に見立てたのではないか、と私は推測します。

 

🔽「魚の序文」がおすすめ!

 

おすすめは「魚の序文」という短篇です。これは表題作の「清貧の書」と対をなしています。いずれの作品も、芙美子が上京して知り合った、手塚緑敏との生活をベースに書かれたものです。とはいえ、双方から浮かびあがってくる印象は、まったく異なったかたちをとります。

 

日々を無為に過ごす男のかわりに、妻が家を支える点は同じですが、小説を語る視点に違いが生じるからです。女の視点から描く「清貧の書」は、男運のなかった妻が、夫に寄り添い、逆境を耐え忍ぶ日々を描いたものです。正直なところ、全体の印象としては、見るべきものがありませんでした。それは女主人公が、否応なく芙美子の姿に重なってしまったことにも原因があります。

 

🔽 「魚の序文」の菊子の存在感がスゴイ!

 

いっぽう「魚の序文」はどうでしょう。男の視点から描いているせいか、作者との間に適度な距離が生じて、貧しい生活のもとにある人間の様子が、あざやかに浮かびあがってくるのです。何といっても、この小説の素晴らしさは、妻・菊子の存在に支えられています。

 

彼女は働き口のない夫の代わりに、家計を支えるために忙しなく動き回ります。貧しい暮らしぶり、窮屈な生活にも、打ち負かされることもありません。このように書くと、肝のすわったたくましい女性を思い浮かべる方もいるでしょう。そうではありません。彼女はどこまでも自然体で、風のように颯爽としているのです。おおらかで悠然とした気質もそなわっています。

 

この菊子の存在感に魅了されました! 夫は菊子が行動を起こすたび、自らの甲斐性のなさを恥じて、彼女を叱りつけます。しかし、菊子の溌剌とした人柄が、どん底にある夫の救いにもなっています。非力な夫と軽やかな女の資質の違いが、あざやかに浮かびあがってくるのです。私は「風琴と魚の町」と「魚の序文」の2篇がおもしろかったです。

 

🔻 林芙美子にとって小説とは?

 

「魚の序文」の同じように、短篇の大半は夫婦や生い立ちを描いています。そこで思うことがあります。林芙美子は、小説をどのようにとらえていたか、ということです。果たして、彼女は小説を芸術としてとらえていたのでしょうか。私の考えは違います。小説は彼女にとって、日々の糧を得る手段だったのではないか、と思うのです。

 

小説の端々からは、我々と変わらない、生活人としての作者の視線を感じるのです。つまり、彼女は肉体労働や職人仕事と変わらない、日銭をかせぐ手段として、小説を書いていたのではないか、ということです。この短編集には、良くも悪くも、人物や文章の向こうに、芙美子の生活の息吹きが感じられます。

 

🔍まとめの感想

林芙美子は、芸術として小説をとらえるのではなく、日々の糧を得る生活の手段として小説を考えている

 

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