読書のものさし

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ドストエフスキーはやっぱり難しい? ~ロシア文学の名作『罪と罰』の感想~

手の影

 

今回読んだ本は、ドストエフスキーの『罪と罰』です。

  私が『罪と罰』を知ったのは、約20年前のことになります。

 

ですが、なかなか手にとれなかった。

表紙から察する内容の重さ、長ったらしい人物の名前、人間関係のややこしさに、

何度も挫折を繰り返しました。

 

何より、ドストエフスキーの作品はめちゃくちゃ長い! 

「罪と罰」は上下巻、文庫本にして1000ページを超える長編小説。

みっちりと文字で埋め尽くされています。

 

20年の時を経て、ようやく「罪と罰」を読み終えました。

「罪と罰」はやはり長くて暗い小説です。こればかりは、否定のしようがありません。

 

しかし、100年前以上に発表されたとは思えない普遍性があって、

今日でも充分読むに値する小説です

それでは以下に、「罪と罰」の内容を書いていきます。 

 

🔻 「罪と罰」の内容について

 

舞台は19世紀のペテルブルク。青年ラスコリーニコフは、貧困の底にあえいでいた。学費を払えず、大学を除籍された彼は、働き口もなく、日々を無為に過ごしていた。ある日、ラスコリーニコフは、ペテルブルグの酒場で、殺人の正当性をめぐる若者の議論を耳にする。

 

若者の話を聞いた彼は、ある計画を思いつく。それは出入りしていた、金貸しの老婆宅へ押し入り、金品を奪うことだった。覚悟を決めた彼は、遂に犯行を成し遂げるが、運命のいたずらか、そこに思わぬ邪魔が入る。その瞬間から、ラスコリーニコフの運命の歯車が狂い始める……。

 

         
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「罪と罰」は、主人公・ラスコリーニコフが凶行に及んだ後、後悔にさいなまれ、罪悪感にかられる、その葛藤を描いた心理小説です。「罪と罰」が雑誌に連載されたのが、日本の時代でいう江戸末期だったことを考えると、作品のはらむ現代性に驚かずにはいられません。とりわけ印象に残ったのは、犯行に及んだ後の、ラスコリーニコフの揺れ動く心理状態でした。

 

🔻 「罪と罰」を読んだ感想

 

彼は確固たる信念のもと犯行に及びますが、やがて意志と理性を喪失するほど、心理的に追い詰められていきます。ラスコリーニコフの母や妹、その友人がみせる優しさの前に、かつての自信は影をひそめ、現実との落差に煩悶するようになります。その揺れ動く心理描写が特に素晴らしいのです。

 

🔽「罪と罰」の主人公・ラスコリーニコフについて

 

ラスコリーニコフの言動を追っていると、ある事実に気づきます。それは人間が自らの価値や信頼を失う危機に直面すると、まず言葉に影響があらわれてくることです。彼にとって犯行が明らかになることは、自らの生きる価値の失効を意味します。作中でこんなシーンがあります。彼が親しい人物の顏を思い浮かべながら、いずれの人物にも話すべき言葉が見つからないと動揺する場面です。

 

彼が語るべき言葉が見当たらないと思ったのは、会話や言葉というものが、その人間の社会的価値や個人的信用に左右されているからでもあります。いわば彼は、これまで言葉を支えてきた足場や背景を喪失する危機に直面したことになります。読者は、人や物から切り離されたラスコリーニコフを通して、言葉が無力化されていく過程を、目の当たりにすることになるのです。

 

🔽「罪と罰」の凄さについて

 

やや冗長が過ぎる内容ではありますが、その点に眼をつぶっても、この小説は見るべき箇所が多くあります。社会では、夢や希望をもつことが良しとされ、そのもとで同様の言説が再生産され続けています。けれど、人は夢や希望のみで生きていけるほど容易くはありません。

 

時に悲しみ、時に絶望し、あるいは死にたい衝動に駆られる瞬間もあるでしょう。主人公のラスコリーニコフが陥るように、絶望という負の心理は、紛れもない生の側面でもあります。その点、ドストエフスキーは絶望へ至る人間の過程を、まざまざと読者に示してくれるのです。

 

🔻「罪と罰」はやっぱり名作だった!

 

文芸誌などのアンケートで、影響を受けた作品に頻繁にランクインするドストエフスキー。古今の作家に与えた影響は計り知れないものがあります。私がこの小説を知ったのも、ドストエフスキーに感銘を受けた、作家のエッセイや読書案内に目を通したからです。それから二十年の歳月が流れましたが、この小説を読み終えて思うのは、「罪と罰」はやはり名作だったということです!

 

小説の世界観は国家、宗教、革命など深淵を極めますが、ラスコリーニコフの心理経過を追っていくだけでも、たいへん読みごたえがあります。彼が最後に得る気づきには、わずかな希望や救いも感じさせます。積読している方、挫折した方、勇気をふりしぼって、ぜひ読んでみてください。ラスコリーニコフという青年像が、あなたの胸に深く刻まれますように。 

 

 

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次に読んだ作品 

コーヒーのように読後感はやや渋め ~社会派ミステリ「点と線」の感想~

コーヒーと本


松本清張は、生涯に多くの小説を書き残しました。

清張作品を初めて読む方は、作品の数があまりに多いために、

どれから手をつけていいか、戸惑うかもしれません。

 

今回、取りあげるのは、文庫本にして200ページと、

初心者の方でも手に取りやすい、推理小説『点と線』です。

松本清張の代表作に数えられる一篇ですね。

 

昭和30年代に発表された社会派ミステリですが、現在から見ると、

作中のささいな箇所から、当時の社会状況がうかがい知れて興味深いです

それでは、以下に本書の内容を書いていきます。

 

🔻 松本清張のプロフィール

 

松本清張は、明治42年、現・北九州市小倉区に生まれた(公式記録に基づいた出生地)小説家です。幼少時から苦節を重ね、さまざまな職業に就いた後、昭和26年、41歳で雑誌に連載した「西郷札」で小説家デビュー。昭和28年『或る小倉日記伝』で芥川賞を受賞をします。以後、逝去するまで健筆をふるいました。

 

松本清張の出生地

 

 その小説の特徴は、登場人物が恨みや怨恨を抱え、社会に報復する復讐劇にあるといえます。また、ミステリ、時代小説をはじめ、古代史、近現代史など、旺盛な好奇心と知識欲から幅広い作品を残しました。現在、北九州市にある「松本清張記念館」の館内には、彼の書斎を再現した展示ブースが設けられています。

 

🔻 「点と線」の内容について

 

『点と線』は、雑誌「旅」に昭和三十二年から翌年一月まで連載された、松本清張初の長編推理小説。社会派ミステリブームの火付け役となり、映画化やドラマ放映もされた、著者の代表作のひとつに数えられる作品です。

 

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『点と線』は、昭和28年度に芥川賞を受賞した『或る「小倉日記伝」』から5年後に発表されました。雑誌『旅』に連載されたことから、作中には「旅」にまつわるワードが散りばめられています。それでは、本書のあらすじをご紹介します。

 

🔽「点と線」のあらすじ

 

事件は、博多からほど近い香椎潟という海岸で起こった。朝靄の立つ一月の朝、若い男女の情死体が岩礁の上で発見されたのである。男の持っていた定期券から、身元はすぐに割れた。男は某省の課長補佐・佐山憲一だと分かり、女も赤坂の料亭に務める女中のお時だと判明する。

 

香椎潟

現在の香椎潟 奥には立花家の本城があった立花山が見える

 

佐山は、省庁の汚職事件に絡み、警察から重要参考人としてマークされた人物だった。警察は、周辺の状況や死体の状態から見て、青酸カリによる心中事件との見方をとった。東京を一週間前に発った二人は、はるか西の地で死を遂げたというのである。

 

だが、その見方にひとり疑問を抱く人物がいた。地元・香椎署の鳥飼警部である。彼は、男が博多へ来る途中、車内で不可解な行動をとったことに疑問を持ち、事件の真相を探るため、博多に着いてからの男女の足どりを丹念に検証していく。


一方、本庁の三原警部補は、某省の汚職事件の捜査で、はるばる九州の地までやって来る。彼は、独自に捜査を進めていた鳥飼警部から、事件のあらましを聞き、東京駅で二人を目撃した人物がいるとの情報を耳にする。やがて捜査の手は、東京駅で男女を目撃した官庁の出入り業者・安田という人物に向けられるが……。 

 

🔍ポイント

東京駅で生じるダイヤグラムの空白に着想をえた作品。推理小説のジャンルとしては、犯人の「アリバイ崩し」が焦点になる。

 

🔻 「点と線」を読んだ感想

 

現在から見ると、全体から受ける印象は、やや地味で物足りなさが残ることは否めません。解説にある通り、駅のホームで目撃者を仕立てる設定上の難があることや、上司が部下から進言された際の物分かりのよさなども、やや盛り上がりに欠けるところがあります。それでも、社会派ミステリブームを牽引した功績は、否定できるものではありません。

 

🔽 時刻表から垣間見えるもの

 

本書を読むと、当時の社会状況は現在とは隔世の感があると分かります。作中で表記された列車の時刻表をもとに、東京⇄博多間の移動時間を計算すると、その隔たりをつよく感じさせます。

 

  • 「特急あさかぜ号」 東京駅18:30発 博多駅11:55着  計 17時間25分
  • 「急行 雲仙号」  博多駅18:02発 東京駅15:40着  計 22時間38分

 

ご覧の通り、東京⇄博多間は、ほぼ一日がかりの大移動だったと分かります。当時は新幹線が開通する前であり、空路での移動も一般的ではありませんでした。三原警部が博多から帰京した直後、長旅の疲れとコーヒーの味に飢えて、行きつけの喫茶店に入ったシーンに、その実感がよく表れています。

 

女の子も客も、ふだんの生活の時間が継続していた。三原だけが五六日間、ぽつんとそれから逸脱した気持ちになった。世間の誰も、三原のその穴のあいた時間(九州へ行ったこと)の内容を知らない。(中略)彼は、ふと孤独のようなものを感じた。

*カッコ内は私注

 

現在は交通網の発達により、遠距離の移動の際も、それほど困難を感じることはありません。しかし三原警部に「ふと、孤独を感じた」と、作者が書き抱かせるほど、かつて、東京⇄博多間の移動には、大変な労力がいったのです。

 

ささいな箇所に、当時の社会状況を垣間見ることができます。世には、列車や時刻表をもとにしたミステリ作品は多くありますが、『点と線』はその走りにあたる点においても画期的ですね。

 

🔻コーヒーのように 読後感はやや渋め


松本清張初の長編推理小説ということもあり、舞台を故郷の福岡に設定したことや、自らが愛好する列車、時刻表、コーヒーをさりげなく配しています。また鳥飼警部という地道に足で稼ぐ人物を登場させたのは、苦労人の清張らしいチョイスといえます。個別に見ると、物足りなさの一言で片付けることはできない、滋味をふくんだ作品です。 

 

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書評ブログ「読書のものさし」のコンセプトについて

ブログ画像

 

皆さん、はじめまして。

 世の底辺を生きるさすらい者、mono-sashiです。

 

ネットの孤島と化していた以前のブログを閉鎖して、

はてなブログへ移ってきました。

 

ブログの移動にともない、タイトルを含め、

内容を大幅にリニューアルさせました。

 

題して、書評ブログ「読書のものさし」です。

 

物事の尺度をはかる、モノサシ、と

私のハンドルネームをかけたものですが……

 

気の利いたタイトルではありませんね。

 ハイ、本人も自覚しています。

 

・九州の文学的風土とは?

 

ヘッダーの紹介文にも書いたように、当ブログのコンセプトは

九州に縁のある作家や、九州が舞台となった著作を書評することにあります。

 

わたしが住む、お膝元の福岡および九州の地が

どのような文学的風土を育んできたのかに、興味をもっているからです。

 

メインは、あくまで九県に縁のある作家などの著作を取りあげていきますが、

それのみでは、ネタが尽きそうなので、それ以外の本についても

随時、書評を更新していく予定です。

 

・「九州の100冊」シリーズについて

 

なお、九州関連の著作を読むにあたり参考にしているのが、

西日本新聞がかつて連載していた「九州の100冊」シリーズです。

 

このシリーズは、九州を舞台とした作品や当地に縁のある著者が書いた、

次代に残すべき著作から、100冊をピックアップしたものです。

 

古くは夏目漱石や内田百閒から、現代は村上龍や萩尾望都まで、

作家や漫画家などから、幅広くセレクトされています。

 

このシリーズを取りあげる場合、カテゴリー欄にその旨を明記するつもりですが、

過去の作品のため手に入らず、私情が入る場合もあるため、あえて私選とします。

 

・更新の速度は……

 

また書評の他にも、作品の舞台となった場所のレポートなども、

機会があれば挑戦したいと思っています。

 

まずは、どれほどの頻度で記事が更新できるか、が

勝負となりそうです。

 

なにせ何事も長続きした試しがないもので、

不安で仕方ないのであります。

 

そんなヘタレな主が綴るブログではありますが、

皆さま、お付き合いのほど、よろしくお願いします。